『セッションサロンカフェ~結び家~』

2017年8月より広島県福山市の自宅でセッションサロンルームします。自分らしく生きることをモットーにしています。お気軽にお越しくださいませ。

ワタシとは~幼少期編~

こころを扱うお仕事をするということで

自分史を少し書いておこうと思います。

 

 

 

昭和56年2月8日にワタシ誕生。

祖母・父・母・姉との5人暮らし。

 

祖母はめちゃくちゃ強いおばあちゃんだった。

祖母が父を妊娠して身ごもっている時に

祖父は戦死したそうだ。

戦死だから骨もなにも戻ってこなかった。

そして、女手ひとつで兄弟2人を育て上げた。

ワタシ自身が今同じような年齢になってこそわかること

本当に祖母はすごかった。

再婚もせず、ずっとひとりで最後までいたこと。

妊娠中にダンナがしぬなんて想像を絶するもん。

戦争って色んなものを奪うものかも。

 

 

そんな祖母に育てられた父はグレることもなく成長。

高校卒業後、市役所に勤める。

そこで市役所で仕事をしながら1級建築士を取得した。

ほんと真面目やったんやな、こうやって書くと。笑

地元で何か建物が建つ時にオトンの名前が書かれてて

「オトン、すごいなー」って思ってた。

そして女ばかりの家やったからか、無口で穏やか。

怒ったところ見たことない。

かといって威厳がないかと言えばそんな事もなく

淡々と日々生きているイメージだった。

 

 

そして母。

2人はお見合い結婚である。

母は公立幼稚園の教諭を経ていつのまにか園長になっていた。

夫婦そろって公務員という役職柄

家では仕事の話をほとんど聞いたことがない。

守秘義務というものやと思うけど…

こちらも真面目で典型的な長女タイプだった。

きっと色んな事を我慢してきたんだろうけど

きっと人のために色々してきたんやろうけど

自分のことを後回ししていたんじゃないかな

今だからこそのワタシからみた母のイメージやけど。

 

 

姉ちゃんは7つ年上なのであまり絡んだ記憶がない。

ワタシが小学校になった時には姉ちゃんは中学生だし

ワタシが中学生の頃にはバリバリの大学生だし

仲が悪いことはないけど、めっちゃいいわけでもない

そんな感じの姉妹でした。

 

 

そしてワタシ。

幼稚園の頃からワタシは小太りで

きのこカットにされ(誰がしたんや。笑)

全然かわくなかった…笑

ただ幼いという部分では「かわいい」だったかもやけど

容姿はほんとにかわいくなかった…笑

それでも両親はきっとかわいいと思っていた(と思う。)

 

今思うと、すでに心は精神的にも弱く神経質で

集団で食事をする事がとても苦手な子どもでした。

お弁当を食べる事、おやつを食べる事

とにかくみんなで「完食しなければならない」ことに

毎日とてもつらかったことを思い出します。

 

お誕生会でドーナツが1個でてきた時も

全部食べられなくてペーパーに包んで

ゴミ箱に捨てた記憶を今でも鮮明に覚えています。

 

今は普通に外食もできるし、初対面の人とも食事はできます。

しかし、「全部食べなければいけない」という事が

今でも少々苦手なのです。。

なので居酒屋みたいなところは大好き!

だって、ちょこっとづつ食べられるでしょ?

逆に定食やコース料理が苦手…

あんなん食べきれへんやろ…ってめちゃ思うもん。

 

そんな感じで今でもなごりの部分がありますが

「食べる事」に対してとても神経質でした。

幼稚園でこれなので、小学生になってからの給食なんて

ほんと地獄でした…

今の時代ではどうなのかわからんけど

パンを残す時も担任の机まで行って

「これだけ食べたので残していいですか?」と聞くの。

毎日毎日そんな感じで、ほんとに苦痛しかなかったです。

 

一般的には給食の時間が一番楽しみ♬とか言うけど

ワタシは授業を受けている方がまだマシやった。

おかげで小学校の頃は頭も良かった。

ま、それも高校に入学するまでの話やけど…

まぁそのあたりはまた後日に。

 

今思うと、食べ物を残すという事にジャッジしてた。

食べ物を粗末にすることはよくないかもやけど

食べきれないものは仕方ないやん

でも、食べ物を残している自分に「✖」をつけてた。

残すことはよくないことだ!っていう決めつけ。思い込み。

そりゃプレッシャーで余計に食べられへんわな、と今なら思う。

 

そんな感じで人前では小食なワタシでしたが

小太りは小太りで、今思うとなんで??と思う。笑

 

そんな幼少期でした。

最後までお読みいただきありがとうございます!