理論派ではなく感覚派で生きています

私って少数派なんだろうなって思うことを綴っています。

多分、正しくない方です

どうして世間は大多数の支持があるものを「正しい」とするのだろう。

そうやって日本の人口を「正しい」と「正しくない」に振り分けたとしたら、きっと私は後者だろう。

とってもほんの数年前までは私は「正しい」方にいたと思う。いや、完全いた。

それなのに、この数年で私は「正しい世界」から「正しくない世界」に引っ越してしまったようだ。

その代わりといってはなんだけど、「我慢して我慢して自分さえ我慢すればいい」という世界から「後悔しない」という世界にも引っ越してきた。

後悔しない生き方って素晴らしいよね。

でも、後悔しない生き方を選ぶことで悲しいこともあった。

それでも私はこの道を選んだ。

今、こうやってひとりでブログを書いてるこの世界を私は選んだのだ。

 

両親がいて、義両親もいて、ダンナがいて、子どもがいる。

そんな当たり前の幸せすら、幸せに感じられなくなってしまった。

幸せの中に、一滴真っ黒な墨が落ちてきた。

そこからどんどん幸せという色が濁っていった。

濁った色をどんだけ掻き出しても、元の色には戻らなかった。

濁った色を見て見ぬふりもしたけど、やっぱり元の色には戻ってなかった。

こうやってみんな濁ってても幸せって言うのかな?

この濁りこそが、家族であり幸せなんだよってことなのかな?

濁ったままいることはできなかった。

 

一度、濁った水を透明にするには、その水を捨てるしかなかった。

他に方法はなかったんだろうか。

今でもそこは答えがみつかっていない。

でも、4年前はこれしか選択肢はなかったと思う、水を透明にする方法は。

 

透明になった水をみながら、濁っていた水を思い出す。

あの濁りをどうしてあの頃の私は許せなかったのだろう。

その濁りですら今は愛おしい感覚なのが不思議。

あんなに毛嫌いしていた濁りを愛おしいなんて。

 

大多数とは違う生き方を選んだことにより見えるものがあります。

そういう話をこれから書いていけたらなーって思います。

もちろん、日々のくだらない事も書くし、食レポも書きます。

統一感ゼロのブログですが、どうぞよろしくお願いします。